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2006年03月19日
怒るというコミュニケーション
今住んでいる所では、隣りに住んでいる人の顔さえ見たこと無いが、鹿児島にいた頃の近所のネットワークはすごかった・・・。とくにおばちゃんたちの井戸端会議は恐ろしかった。子供たちの親に知られたくない情報はすぐさまその場の議題にあがり、ウチの母ちゃんも当然その井戸端会議には参加してたりして、バレてないと余裕綽綽で家に帰ると「あんたまた手つないで街中ほっつき歩いてたでしょ!」なんて言われたりするもんだから子供としてはたまったもんじゃない・・。良くも悪くも近所の付き合いは深く、子供にしたら近所中に親がいるようなものだった。
近所でなくても悪いことをしたら町中の大人に怒られたものだったが、こっちではあまりそういう光景は見かけない。子供が信号無視しても注意する人もいない。注意するのがめんどくさい人たちで構成されているのが都会だ。中にはいるのかもしれないが・・・あまいよ。注意なんて生ぬるい。僕らはガチンコで見知らぬ大人に怒られた。ゲンコツされてた。
でも怒られるだけじゃなかった。悪いことしてるのに。小学生の頃、通学路の途中にある民家の柿の木に登り、柿をちぎって飛び降りたまさにそのとき、「こらーっ!!くそ坊主!!!」ってものすごい怒鳴り声が聞こえて、振り返るといかにもガンコ親父みたいなのが仁王立ちしていた。あわてて駆け出すと今度は後ろから「一個でいいのかー?」なんて予想だにしなかったセリフがとんできた。緊張と緩和。ボクは混乱してとりあえず立ち止まったけど、黙って頭を下げてまた走り出すしかできなかった。今になって、なんか粋なじいさんだったなーと思う。柿はそんなに重要じゃなくて、子供のリアクションを楽しんでいたのではないかとさえ思う。また柿の木がいい感じに立ってる。「登れ」!みたいな空気で。あれに触発されない子供はいないんじゃないかってぐらいに。友達の中でも何人か被害?にあった奴がいて、でも誰もつかまって怒られたことはなかったし、学校にも連絡されることはなかった。
いたずら小僧とそれを怒るじいさん。という光景は日本全国で昔から行われていた、もう一種の行事みたいなもので、そういう中で子供は育っていくものだと思う。怒らない大人や、怒られたことのない子供が、いたずらで済んでたことを事件に発展させるのだろう。ということで、明るい日本の未来のために、これから家を建てる人は庭に柿の木を植えようじゃないか!しかも塀のそばでちょうどいい感じの所に。そしてこの際、怒鳴る練習もしとこう!「くぉら!くそ坊主ー!!」後は未来を担う少年が、いつか柿の木に登る瞬間を心待ちにして、登りたくなるような枝ぶりになるよう大事に柿を育てよう。そんなじいさんにボクはなりたい。・・・ちょっとだけ。
投稿者 さつまやスタッフ : 2006年03月19日 04:04
